貧乏くじに慣れて得をする

いつも貧乏くじ、損を引いてしまう人へ。

世の中にはお人よしな方が多くいる。

そしてそれ以上に、その人におんぶをする人間は多い。

しかし、最後に笑うのは、きっと損をしてきた人なのである。

楽をしようと人任せにする人は、損をした時に対応ができずこちらに助けを求める。その時に恩を売ることができる。逆に貧乏くじで慣れていれば、あとは得をするだけだ

人間は、自分に得のあることや楽しいことは率先して行うが、めんどくさい事は後回しにしたり誰かに押し付けたりするものである。

そうなると、必然的に誰かがまとめる役割を負わなければならない。

得てして、リーダー的な頼れる存在だったり一番優しい人が押し付けられてしまうことが多い。

もし本書を読んでいる中で『いつも損な役割だな』と思っている人、安心して欲しい。

結局はあなたが得をするようになっているから。

よく考えてみよう。

例えば、人数を集める行動は、自分の仲間を増やすきっかけになる。

人をまとめるというのは、人徳を積む練習にもなるだろう。

計画を立てるのは、企画立案力アップにつながる。

無駄になることなどないとは言わないが、少なくとも何もしないでおいしいところだけ頂こうという輩に比べれば、経験も人望も厚くなる。

それに、面倒事を押し付けられたことがある人は、あなたの苦しみを共有できる。

自然と、あなたの周りには頼れる人や優しい人が友人として増えていくだろう。

そしてそれはやがていい評判を生み、トータルで見たときに、あなたの得になるのである。

人に任せることしかできない人間は、結局何もできないままなのだ。

種を蒔くより水やり

いつも目標や計画がうまく行かない人へ。

スタート時には、並々ならぬ決意で立てた目標なのに、なぜかいつも失敗をしてしまう。

そして目標の立て方を考え直す。

誰でも経験があるだろう。

だが、悪いのはその目標ではないのかもしれない。

種を蒔くよりも、水をやり続けることが大事

仕事や生活、遊びでも、新しい目標を作ったり計画することがあるだろう。

特に何か新しいことに挑む時の準備などを、種を蒔いている時期と表すことがある。

しかし、種を蒔いてばかりで、育てなければ意味が無い。

収穫というゴールを目指すのであれば、一番大事なことは水をやることである。

目標や計画を作って満足してしまう人、なぜかうまく行かない人は決して目標設定が悪い訳ではない。

目標に近づくための試行錯誤を続けられていないのである。

だから、見直すなら目標や計画ではなく、試行錯誤を続ける方法を見直すほうがいい。

水さえ与えていれば、不恰好でも実はなるのだ。

少しずつでもいい、水を絶やさないことを心がけたいものである。

努力が実らない人へ

いつも努力が実らない人へ。

頑張っているのになぜかうまく行かない人。

努力しているのに全然進んでいる気がしない人。

そのような人は、ちょっと目線を変えることでうまくいくかもしれない。

『努力に勝る天才なし』とはよく言うもので、何事にも努力は必要である。

だが、努力が実らない場合、他の方法を試さずに諦めてしまうのはもったいない。

なぜなら、ちょっとやり方を変えれば、意外とうまくいったりするからだ。

努力は大事だけど、努力する方向を変えるとうまくいく事もある

これは少し笑い話に近いが、僕の知人の社長が中国に仕事の交渉をしに行った。

社長は初めての中国、しかも仕事の話ということで、中国語を必死に勉強したそうだ。

一方現地の担当者も、大事な仕事の提携先ということで日本語を勉強してくれていたそう。

いよいよ話し合いが行われたのだが、お互いつたない中国語と日本語である。

思った以上に意思の疎通が難しかった。

社長がどうしたものかと困っていた時に、現地の担当者が他のスタッフと英語で話しているのを聞いた。

そこで社長が英語で話すと、スムーズに会話ができるではないか。

実は、2人とも英語が堪能なのであった。

灯台下暗しというか、気付いてみればなんということはないのだが、思い込みによってすれ違っていたのである。

このように目線ややり方を変えてみると、すんなりうまくいったりするものだ。

高速道路が渋滞している時は、意外にも一般道が空いていたりするものである。

そしてどちらの道でも目的には到着できるのだ。

頑張っているのになぜかうまく行かない人は、頑張る方法を変えてみてはいかがだろうか。

逃走も立派な攻め手法

どうしても逃げてしまいたい人へ。

映画のヒーローのように、巨悪に立ち向かったり、一発逆転で大成功したり、そんな主人公のようになれたらどれだけいいだろう。

だが、現実はもっと泥臭くて厳しいものである。

人間なのだ、時には逃げてもいいのではないだろうか。

困難や苦難に出会ったとき、立ち向かっていける人は強く逞しい。

世間的にも賞賛される。

しかし、どうしても逃げ出したい時があるのも事実だ。

僕としては、あまりに心身に負担が大きく、体や心を壊してしまうような事柄からは逃げてしまうのも正解だと思っている。

だが、素直でいい人であればあるほど、逃げることに負い目を感じてしまうものである。

そんな人には、逃げることも立派な攻めなのだと思って欲しい。

人は逃げるなと言うけれど、逃走だって立派な攻めの手法

例えばこのように考えてみたらどうだろうか。

困難に立ち向かうことを前進しているとすると、逃げることは停滞や後退だと感じてしまう。

しかし、前向きに逃げればそれは『斜め前に進んでいることなのである』

逃げたあとにゆっくりまた始めたって何も遅くはないのである。

厳しい道を選ぶ格言

厳しい道を進んで選びたくなる格言。

時には自ら厳しく苦しい道を選ぶほうがよい場合がある。

それはどのような時だろうか。

上場企業の社長から聞いた格言である。

苦しい時ほど厳しい道を選ぶこと。それが結果的にいい選択となる

今回は、苦しい時ほど厳しい道を選ぶべきだという話を紹介したい。

その根拠は2つある。

1つ目は、前回の格言に関連するのだが、どんなに辛くて苦しい経験でもいずれ苦しさは忘れてしまうという内容をお話した。

それであれば、厳しく苦しい道の方が、手に入る結果や成果が大きくなる。

どのみち苦しみを忘れるのであれば、いい結果が残るほうを選ぶのもひとつの戦略なのだ。

そして、もしその選択が失敗だったとしても、厳しい道を選んだ上での失敗は今後の糧になる。

2つ目は、厳しい選択を乗り越えるとそのあとが非常に楽に進めることが多いからだ。

精神的にも作業的にも辛く重い時期を乗り越えれば、あとは負担が軽い事だけが残った状態になる。

すると、坂道を登りきった自転車のように、あとは漕がなくても下るだけで目的地に到達できる。

いずれ通らなければならない坂道なら、早めに登ってしまった方が楽なのだ。

また、苦しい時ほど厳しい選択をすることに慣れると、選択することの抵抗がなくなる。

その結果、より厳しい道を選ぶこともでき、気付けば安易な選択ばかりする人間とは雲泥の差が出来上がっているのだ。